3/16/11

Final distance






誰かと誰かが、お互いloveでいる時の場合。

愛される方 愛する方
どちらがいいかなんて、どちらも選べない。

誰かに愛されている時。
誰かを愛している時。

どちらも幸せだから。
どちらの愛がどれだけ大きい愛かは、
他人には疎か、本人すら
誰にもわからない。


誰かから愛される事を終えられた時、
(もう愛せなくなった時と、愛するのを辞めなくてはいけない時では少し違うけど)
どちらにしても、愛す事を終えた時。

どちらが辛いかと言えば、断然後者の誰かを愛せなくなった事に気付いた時や、
無理に愛する事をやめなくてはいけない時の方だと思う。
誰かを愛してる時より、ずっとずっと胸が苦しくなる。


しかしそれよりなにより一番辛いのは、
誰かからそれらの大事な思い出を、
忘れられてしまうことだ。


とか格好付けて言ってみても、心のどこかでは、愛される方が楽で、冷められる方が辛いというのが本当のところ。なーんだよ。いやせめて、“という気がする。”にしておこ。
私は私の名を生きる。24歳になった時にmixiで宣言していた。
つまり、愛を生きる、さらに愛に生きるってこと。
それはこの世にうまれてからずっとしてきたつもり。
 しかし、愛とは?
『愛とは見返りを求めないこと。愛に裏切りがないこと。』
であると信じている私にとって、”愛”に到達することはなかなかできたものではなく。
愛に生きるって容易く言える事じゃなかったな、って。
私は今、とても愛なんかに生きてないや。
てかそもそも、愛と言ってみても色んな愛の形があるけど、
愛なんて気安く呼べるほど、そんな簡単なものじゃぬぁいんだよ。
ずらずら、ばらばらとこんな事を帰り道に考えて、悲しい事を思い出して泣いたらスッキリした。恋愛の話?愛ってか?ちがうちがう。わからない。あーあ、愛を生きる環境に自分からしよう。たとえ、それを愛って呼ばないとしても。

それでも私は愛に生きたい。


たまには思っている戯言をぶちまけてみた。





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